- 投稿日 : 2018-09-13
- 投稿者 : あんころもちこさん(30代女性)
総合評価
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- 3.00
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充実感
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待遇度
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自由度
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この仕事を選んだ理由やキッカケ
人が食べる姿を見るのが好きで管理栄養士を目指して大学へ通いました。外部実習の際、身近な存在でいられる施設栄養士に惹かれて、老人施設の栄養士を目指すことにしました。私が就活した時代は、就職率も低く栄養士自体が求人数が少ないため就活はなかなか上手くいきませんでした。給食の委託会社は採用数が多かったのですが、委託ではなく常勤の栄養士として働きたかった思いが強かったです。周りが就職先が決まって行く中焦ることもありました。とりあえず国家試験合格を目指して勉強に励みました。諦めかけてて頃に、知り合いから声をかけてもらい、老人施設の面接を受けれることになりました。
そこはいくつもの施設を経営されている大きな会社でした。
そこはいくつもの施設を経営されている大きな会社でした。
面接時に思った事や感じたことを教えてください
面接は管理栄養士の長と施設の事務長の方でした。国家試験に合格しない限り管理栄養士の資格はとれないので、施設としては管理栄養士を採用したいこと、管理栄養士の試験に落ちたらどうするかと聞かれました。管理栄養士の試験は卒業後に行われて、結果は就職して2ヶ月くらいたたないとでません。それまでは、栄養士として働けるけど、そのあとどうするのか。確か、努力して合格しますと言ったと思います。採用されたとしても管理栄養士の試験に落ちたらクビになるのかと思うとビクッとしてしまいました。そのあとは栄養士ならではですかね。手を見せてくださいと言われました。もちろんネイルもしてなければ爪も切っていてよかったなと思いました。就職した後から聞いた話では、手荒れがひどい人には厳しい仕事だから確認したと言われました。
口コミ・体験談
晴れて、夢だった老人施設の管理栄養士としてはたらくことになって嬉しく思いました。
学生の時に想像していた仕事とは現実は違うところもあり、慣れるまでは戸惑う毎日でした。
仕事としても、献立作成や調理はせずに栄養マネジメントが主な仕事で、直接入居者さんと関わって栄養計画を立てたり、医師やリハビリスタッフが出席するカンファレンスに参加したりとど素人がしていい業務なのか疑問に感じることもありました。
それでも与えられた仕事に取り組む毎日でした。
栄養士として働いていて良かったなと思うのは、食事が美味しいと声をかけてもらったり、あんたの顔見ると嬉しいね、安心するねと言ってもらうことでした。
誰かの役に立っているというよりも、自分の居場所ができたようで嬉しく思いました。
大きな施設だったので、通常なら1人配置が多い栄養士なんですが、上司はもちろん先輩の栄養士や同期にも恵まれてしっかりと仕事を教わることができました。
女性が多い職場なので揉め事もありますが、厨房で働く方は母親世代で娘のようにいつも可愛がってもらっていました。
仕事が辛くなる理由には人間関係のストレスが大きいかと思うんですが、その点は恵まれていたと思います。
たくさんの人と関わることで、人見知りが激しく引っ込み思案だった性格も少し改善されました。
大規模な会社にいたため、異動は免れませんでした。
退職するまでの間なんども異動がありました。
最初は不安だった異動も慣れてくると色々な施設での仕事を体験することができるため自分自身の経験にもなるし、関わる職員さんも顔見知りが増えてどこへ言っても声をかけてもらえるようになったり、最後の方は異動を楽しんでいました。
立地条件のいい場所に住んでいたことが異動の多い原因だとは思いますが、上司曰く誰でもいいわけではなく、誰とでも上手くやっていける人でないと色々なところへは行かせられないと言われました。
その言葉は嬉しかったです。
365日、3食休みなく食事を提供していかなければならない仕事です。限られた人数で調理もしなければならないので、誰かが体調を崩したり休んだりするとそのツケは全部回ってきました。離職率も高く、若い栄養士ほどすぐに辞めて行きました。
その穴を埋めるために、休みを削って朝から晩まで働く日も何日も続きました。気がついたら1ヶ月休みがないとかありました。その頃には自分の体も限界にきてしまい、重度のヘルニアで歩けないほどになりました。
初めて仕事を2週間近く休みました。
体を壊してからは、そこまで自分が頑張って働く意味はないなと思いました。たくさん辞めて行く人を見送る中で、いなくなっても、次の人が育っていくことがわかっていたからです。自分の代わりに働ける人はいても、自分の代わりはいない、ようやくそのことに気がついた時には勤続年数10年を超えていました。
それに、無理することで結果迷惑をかけることになるので無理しないように自分で体の管理もしないといけないと思います。
就職して気がついたことは、給料がとても低いことです。栄養士として社会的地位が低いことがあるとは思いますが、4年間勉強して国家試験合格してもこの程度かと思います。そこまで考えていなかったので、就職してからの生活をしっかり送ることができるのかも人生において大事なことだなと思いました。働くだけでは生きていけません。それを考えると、いくら正社員としても栄養士として食べていくのはなかなか厳しい道だなと思いました。ボーナスもなかったし残業手当もろくにつかなかったし働けば働くだけ損してしまうワーキングプアだったように思います。やりがいだけではどうしようもないことがありますよね。
学生の時に想像していた仕事とは現実は違うところもあり、慣れるまでは戸惑う毎日でした。
仕事としても、献立作成や調理はせずに栄養マネジメントが主な仕事で、直接入居者さんと関わって栄養計画を立てたり、医師やリハビリスタッフが出席するカンファレンスに参加したりとど素人がしていい業務なのか疑問に感じることもありました。
それでも与えられた仕事に取り組む毎日でした。
栄養士として働いていて良かったなと思うのは、食事が美味しいと声をかけてもらったり、あんたの顔見ると嬉しいね、安心するねと言ってもらうことでした。
誰かの役に立っているというよりも、自分の居場所ができたようで嬉しく思いました。
大きな施設だったので、通常なら1人配置が多い栄養士なんですが、上司はもちろん先輩の栄養士や同期にも恵まれてしっかりと仕事を教わることができました。
女性が多い職場なので揉め事もありますが、厨房で働く方は母親世代で娘のようにいつも可愛がってもらっていました。
仕事が辛くなる理由には人間関係のストレスが大きいかと思うんですが、その点は恵まれていたと思います。
たくさんの人と関わることで、人見知りが激しく引っ込み思案だった性格も少し改善されました。
大規模な会社にいたため、異動は免れませんでした。
退職するまでの間なんども異動がありました。
最初は不安だった異動も慣れてくると色々な施設での仕事を体験することができるため自分自身の経験にもなるし、関わる職員さんも顔見知りが増えてどこへ言っても声をかけてもらえるようになったり、最後の方は異動を楽しんでいました。
立地条件のいい場所に住んでいたことが異動の多い原因だとは思いますが、上司曰く誰でもいいわけではなく、誰とでも上手くやっていける人でないと色々なところへは行かせられないと言われました。
その言葉は嬉しかったです。
365日、3食休みなく食事を提供していかなければならない仕事です。限られた人数で調理もしなければならないので、誰かが体調を崩したり休んだりするとそのツケは全部回ってきました。離職率も高く、若い栄養士ほどすぐに辞めて行きました。
その穴を埋めるために、休みを削って朝から晩まで働く日も何日も続きました。気がついたら1ヶ月休みがないとかありました。その頃には自分の体も限界にきてしまい、重度のヘルニアで歩けないほどになりました。
初めて仕事を2週間近く休みました。
体を壊してからは、そこまで自分が頑張って働く意味はないなと思いました。たくさん辞めて行く人を見送る中で、いなくなっても、次の人が育っていくことがわかっていたからです。自分の代わりに働ける人はいても、自分の代わりはいない、ようやくそのことに気がついた時には勤続年数10年を超えていました。
それに、無理することで結果迷惑をかけることになるので無理しないように自分で体の管理もしないといけないと思います。
就職して気がついたことは、給料がとても低いことです。栄養士として社会的地位が低いことがあるとは思いますが、4年間勉強して国家試験合格してもこの程度かと思います。そこまで考えていなかったので、就職してからの生活をしっかり送ることができるのかも人生において大事なことだなと思いました。働くだけでは生きていけません。それを考えると、いくら正社員としても栄養士として食べていくのはなかなか厳しい道だなと思いました。ボーナスもなかったし残業手当もろくにつかなかったし働けば働くだけ損してしまうワーキングプアだったように思います。やりがいだけではどうしようもないことがありますよね。
やりがいを感じたところ
就職して一年目は、とにかく上司や先輩に教わる毎日でとても一人前とは言えませんでした。二年目になると慣れてきてなんとなく一人でできるようになりました。
三年目になると、新しいことに挑戦したい気持ちが湧いてきました。理解ある上司だったので、私の気持ちを汲み取りたくさんチャレンジさせてもらえました。
また、四年目になると後輩もでき、教わる立場から教える立場へとかわって、自分が今まで経験してきたことを教えることで自分の仕事を見直すことができました。
そんな後輩が独り立ちして頑張っていく姿を見ると嬉しかったです。
この仕事は一人ではできないので、たくさんの人と関わらなければいけません。
それが面倒に感じることもありますが色んな意見を聞くことで自分の成長にも繋がったなと思います。
三年目になると、新しいことに挑戦したい気持ちが湧いてきました。理解ある上司だったので、私の気持ちを汲み取りたくさんチャレンジさせてもらえました。
また、四年目になると後輩もでき、教わる立場から教える立場へとかわって、自分が今まで経験してきたことを教えることで自分の仕事を見直すことができました。
そんな後輩が独り立ちして頑張っていく姿を見ると嬉しかったです。
この仕事は一人ではできないので、たくさんの人と関わらなければいけません。
それが面倒に感じることもありますが色んな意見を聞くことで自分の成長にも繋がったなと思います。
こうだったらもっと良かった!と思うところ
なんといっても、ブラック企業体質を改善してほしかったです。真面目な性格だったために、人より無駄に頑張って無理をして体を壊してしまいました。
私みたいに自分を犠牲にして働いている人って少なくないと思うんですよね。
休日出勤しても残業してもそれが美学というか、働いて当たり前という風潮が会社全体にあり、誰もおかしいと思っていないような会社でした。
昔からの嫌な体質が残っているような感じで。
就業規則はあってないようなものだなと思いました。
さらに給料も低いので、働くだけ損をするという嫌な流れができていました。
それでも頑張れたのは、周りの人間関係に恵まれていたからだとは思いますが、働き続けるとなるとこの職場では難しいと感じます。
誰もが働きやすい会社にするのは難しいことかもしれませんが、働くときはしっかり働いて休むときはしっかり休むメリハリが会社の成長にも大事ではないかなと思います。
私が就職した会社がこれからどうなっていくのかはわかりません。ただ、離職率が高いのは事実です。
栄養士の仕事が全て私の働いていた会社のようではないとは思いますが、これから栄養士として働きたいと思っている人たちにとってもっと働きやすい環境になるように改善していく必要があるのではないかなと感じます。
私みたいに自分を犠牲にして働いている人って少なくないと思うんですよね。
休日出勤しても残業してもそれが美学というか、働いて当たり前という風潮が会社全体にあり、誰もおかしいと思っていないような会社でした。
昔からの嫌な体質が残っているような感じで。
就業規則はあってないようなものだなと思いました。
さらに給料も低いので、働くだけ損をするという嫌な流れができていました。
それでも頑張れたのは、周りの人間関係に恵まれていたからだとは思いますが、働き続けるとなるとこの職場では難しいと感じます。
誰もが働きやすい会社にするのは難しいことかもしれませんが、働くときはしっかり働いて休むときはしっかり休むメリハリが会社の成長にも大事ではないかなと思います。
私が就職した会社がこれからどうなっていくのかはわかりません。ただ、離職率が高いのは事実です。
栄養士の仕事が全て私の働いていた会社のようではないとは思いますが、これから栄養士として働きたいと思っている人たちにとってもっと働きやすい環境になるように改善していく必要があるのではないかなと感じます。
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